縁起

醫王山 大宮寺(いおうざん だいぐうじ)

その昔 宇多天皇寛平壬午年(892年)聖宝尊師は修験道の開祖である役小角を慕いその足跡をたどり箕面山へと向かった その途中為奈の小笹という郷里を訪れ摂津國の郡司中村左衛門尉時原佐道の宅(證如上人の父)に身を寄せ日々修練を重ねていた するとある夜夢の中に大宮牛頭天王が顕われ 萱野の東北に仏法有縁の霊池があるとのこと 尊師はすぐさまこの地へ向かうと 東西に因果の曼荼羅華の峰があり その間に長さ十二丈余の大磐石が屹立するのを見た その姿まさに大医王薬師瑠璃光如来の尊影であった そこでこの地を拓いて堂牢を建立し自ら薬師如来の尊像を刻して本尊とし 醫王山大宮寺と称した

                               「摂陽群談」参照

聖宝尊師(しょうぼうそんじ)

幼名を恒蔭(つねかげ)王といい 天長9年(832)2月15日現在の香川県本島で御誕生 16歳の時 弘法大師の実弟真雅僧正の弟子となり真言密教はもちろん奈良の東大寺を中心に南都の仏教を学ばれました

また役小角に私淑して吉野金峰山で山岳修行を行うとともに参詣道の整備や仏像造立などで金峰山の発展に尽力した このため役小角以降途絶えていた修験道の中興の祖といわれる事となった

宝永4年(1707年)理源大師の諡号を賜る

医王岩(いおういわ)

当山より北へ300mほど上ったところに鎮座されます 地元では薬師岩とも呼ばれ土地や生産を司る農耕神 大巳貴 少彦名の二神が生まれた地とも言われます

当山の開基 古代より信仰の対象とされます

本尊

薬師如来 愛染明王 不動明王 十二神将 地蔵菩薩 如意輪観音 

歓喜天 辯才天 毘沙門天 弘法大師

親ごころ地蔵

昭和9年に馬車にひかれ6歳になる男の子を亡くした父親が自分の手で地蔵菩薩を作り、お寺に奉納されたものです。当時のご尊體は傷みが酷くなり、現在は二代目のお地蔵様に変わっておりますが、初代お地蔵様の想いはそのままに引き継がれております